奈良山友会 山行の記録

四国の背稜を歩く
剣山・三嶺

2014年5月1日(木)〜2日(金)

 

< メンバー >
L.サンキュー、リギ、山寺、ウオンテッド

< コース・コースタイム >
 1日目 : 近鉄平端駅6:10 − 西名阪 − 淡路島経由 − 徳島道 − R438 − 10:50見ノ越
     剣山登山口11:10 − 西島(尾根コース) ー 12:15剣山(昼食)12:40 − 
(大劔コース) − 14:10登山口 − 14:30ラ・フォーレつるぎ山(泊)

 2日目 : ラ・フォーレつるぎ山7:00 − 三嶺登山口7:40 − 8:12林道合流点 − 10:05ヒュッテ分岐 − 10:17三嶺10:50 − 
(下山途中昼食) − 13:00登山口 − 15:30木綿馬温泉入浴 − (往路と同じ) − 20:40平端駅


5月1日(木):剣山

  ゴールデンウイーク前半は、荒れた天候で、谷間のきょうもその余波が心配されたが、どうやら杞憂に終わりそうである。
 集合地の平端駅前にはすでにサンキューさんのお馴染みの車が停まっていた。
全員が揃い、集合時間の6時10分には出発した。

途中の高速道も順調に走り、徳島道の美馬ICで、高速道路を降りると、
あとはR438を剣山の登山口見ノ越まで一直線である。

  貞光の道の駅に寄り道し、今日の行動食や晩の宴会用の酒肴を調達した。
ここは、地元の産品が豊富で値段も安いことから、比較的朝が早いにもかかわらず、大勢の人で賑わっていた。
買い物はそれのみならず、半田麺、シイタケ、チャンドラポメロ(こどもの頭大の柑橘類)など、全員がお土産として買っていた。
  車は一宇、葛籠尾堂を経て、見ノ越に到着した。

見ノ越は標高約1410m、剣山とはおよそ550mの標高差である。
ここで支度を整えて、登山開始である。
  ここから剣山中腹の西島まではリフトが懸けられている。
山寺さんはこちらを利用するとかで、我々3人は、劔神社の長い階段登りから始まる登山口から登山を開始した。



  この3人ならと、少し飛ばし過ぎた。
後で聞いたのであるが、リギさんは途中で気分が悪くなり、吐き気がしたそうである。
それなら言ってくれればいいのに。
やはり、僕って暴走老人だったのか?

  見ノ越辺りはようやく芽吹きが始まったところだが、上はまだ春先の装いである。
道はジグザグに切られて割合楽である。
登山リフトの西島駅の屋根が見えるころ、剣山の山容全体が見渡せた。
谷筋にはまだ残雪があった。

剣山のまろやかな山体に比べ、その右の次郎笈(じろうぎゅう)はスッキリした三角形の端正な形をしている。
この2つの山は兄弟山というべく、剣山は別名、太郎笈(たろうぎゅう)というそうだ。

 西島で尾根道と大劔道に分かれる。
我々は前者を採った。

刀掛けの松で、行場への道が左に分岐しているが、虎ロープが張られていた。
これを見送りしばらく行くと、頂上ヒュッテの手前で、前を行く山寺さんに追いついた。



 ヒュッテと剣山本宮宝蔵石神社の間の階段を上がると、山頂にかけて木道が延々と続いている。



山頂付近は平家の馬場と呼ばれ、ミヤマクマザサが密生した平坦な台地状となっている。
この最高地点が剣山の頂上で、西日本第2、及び四国第2の高峰である。
そして、1等三角点が据えられている。



 剣山の呼び名は、広く「つるぎさん」、地元徳島県で「けんざん」と音読みされて混在していたが、1963年、県が「つるぎさん」に統一した。
ちなみに麓の町も「つるぎ町」である。

 きょうは曇ってはいるものの、四囲の山々が見渡せた。
よく晴れた日には太平洋や瀬戸内海も見えるそうだ。

40年も前、まだ20代の端くれだった時にこの山頂に立った。
もう2度と登ることはあるまいと思っていた場所に再び立つことができたことは、感慨深いものがあった。

 次郎笈は剣山の南西に位置し、全山ミヤマクマザサに覆われて、スッキリした山容を現していた。
登高欲をそそられたが、誰も登ろうとはいい出さなかった。
泡アワに目が眩んでいたに違いない。



 昼食を済ませ、下山は少し距離が長い大劔道を下った。
下から修験者の先達さんを先頭に、行者姿の若い女性の一団が登ってきた。
背中に大きなお札を背負っている。
中々元気そうだが、しんどそうでもある。

 お塔石を背後に屹立させて、大劔神社があった。
この石灰岩の大岩が剣に見えることから剣山と呼ぶようになったとの説もあるらしい。
神社にお参りすると、まだ真新しい清酒の一升瓶が供えられていた。
先ほどの一団の供物のようだ。
「お下がりをいただこか?」と冗談も飛び出した。

神社を少し下ったところに、お神水が湧き出ていて、日本百名水に選定されている。
 神社から遊歩道コースを下る。
遊歩道とはいえ、登山道らしい道で、残雪を踏んで行く箇所もあった。
西島で二本の登山道と合わさり、またその先で分かれ、登山リフトの下を潜ると、元来た道に合流して、登山口に戻った。



 そして、今夜の宿泊地、ラ・フォーレつるぎ山に向かった。
行きがけに一瞥したのであるが、ロッジ風のおしゃれな建物であった。
内装も新しく、寝具も清潔であった。
また、管理人さんも親切であった。

 チェックインを済ませ、入浴時間まで随分時間があったので、部屋で早い宴会を開き、駄弁った。
入浴を挟み、6時からの夕食メニューは豚しゃぶ。
食べきれないほどのボリュームで、残念ながら完食できなかった。
大食漢(女性は漢とはいわないが)のbuhiちゃんがいないのが惜しまれた。



 食後、山寺さんは早めに眠りについたが、サンキューさんとは山友会のことなど、あれこれと話し、10時過ぎに就寝した。
 

5月2日(木):三嶺

  5時半、窓のカーテンを引くと、屋根はしっとりと濡れている。
きのう見えていた剣山はガスに包まれて、その一端も垣間見えない。
やがて時間の経過とともに太陽が顔を出し、快晴になった。
登山日和である。

  宿の配慮で、朝食を半時間繰り上げてもらい、6時30分から食事を摂ることになった。
その前に荷物は全部車に積み込み、支払いも済ませ、食事を終えると同時にスタートできるように按配した。
朝食も魚フライ、サケの焼き物、ゆで卵とまずまずであった。

  7時、ラ・フォーレつるぎ山を後に、見ノ越まで戻り、ここからはR439を名頃に向かって国道を下って行った。
下るに連れ、季節がドンドン進んでいく。
周りの灰緑色一色から芽吹きの淡い緑、淡い赤、淡い黄緑などパステルトーンである。
祖谷渓に沿って下って行く。

途中、西方に高くこれから向かう三嶺の雄姿が快晴の空に聳えていた。
道はヘアピンを繰り返し、谷底をめがけて降りていく。
それに連れて、三嶺は増々高度を上げていく感じだ。

  名頃ダム湖が左下に見え、やがて名頃の登山口駐車場に着いた。
ここは、立派なトイレ(洋式温熱便座)やベンチ、テーブルがあり、前夜泊のテント組もいた。

 

  登山道は、以前平尾谷川に沿って登るルートが、崩落のため、ダケモミの丘を目指して登るルートに代わり、
1512mのピーク(ダケモミの丘)を少し下った鞍部で合流する。

  始めは足場の悪いいきなりの急登であるが、すぐに比較的緩やかな尾根の登りになる。
ピンクのテープが途切れることなく付いているので、迷うことはない。

コメツガ、ウラジロモミ、シコクシラベの針葉樹に交じり、ミズナラ、ブナ、リョウブなどが顔を見せる。
登山口はすでに新緑であったが、上に行くに従って、季節が逆戻りし始める。

時折、ウグイスやツツピー、ツツピーと鳴くシジュウカラの声も聞かれる。
また、遠くの彼方からは、ツツドリのポポ、ポポ、という鳴き声も耳にする。



  前方が開けたと思うと、林道が右下から上がってきた。
ここを横切ると、右手尾根に上がる階段があり、また尾根歩きの続きである。

旧道との分岐で小憩を取り、二重山稜の鞍部を過ぎると、1544mのピークを目がけて急登が始まる。
この地点で登山道は180度右に折れて、緩やかな尾根道が延々と続く。
左手は谷を挟んで、白髪山の山並みが眺められた。



道が急峻になり、灌木帯を抜け出るころ、右手前方にミヤマクマザサに覆われた三嶺の斜面が見えるようになった。



上部の斜面から押し出したガレを少し歩き、段差のある岩や階段を登りきると、三嶺ヒュッテと三嶺の間の小さい鞍部に飛び出した。
すぐ下には、かわいい池が水を湛え、斜面に残った残雪を映し出していた。



  ここで、山寺さんとサンキューさんをちょっと待ち、最後の登りとなる(これは思い違い)斜面を踏ん張って登り出した。
案に相違して頂上は更にその先にあった。



途中遭難碑のプレートが嵌め込まれた岩を見送り、先に歩を進めると、数人が憩う標高1894mの三嶺の山頂であった。
その一角に2等三角点があり、1mほど離れたところに山名板が立っていた。



  三嶺は「みうね」と読み、高知県では「さんれい」と呼んでいるが、正式には、「みうね」だそうだ。
1994年9月、「三嶺・天狗塚のミヤコザサとコメツツジ群落」が天然記念物に指定された。
そのコメツツジがシカの食害で絶滅の危機にあることから、地元では防護ネットでの保護対策を講じているという。
この花の花時の景観はどんなものだろうか。

  写真を撮ってあげた男女が、南の白髪山を目指して斜面を南へ下って行った。
ここから東に折れて、剣山に縦走できる。

また、西に目を転じると、全山ミヤコザサに覆われた山稜が天狗塚まで延々と連なっている。
時間が許すならここを縦走してみたいが、今日中に奈良まで帰らなければならない。
  集合写真を撮ってもらった高知県の単独行の男性は、その後、別れの挨拶をして、天狗塚を目指し、西へ下って行った。
やがて稜線を歩いて行くのが認められた。

  半時間ほど至福の時間を過ごし、人もたくさん登ってくるので、頂上を後にした。
帰りは早い。日当たりが良く、眺望もある緩斜面で昼食にした。
銘々、思い思いの場所に席を占め、山の食事を楽しんだ。

  山頂近くの鞍部で、出会った夫婦が降りてきた。
かなりしんどそうに見られたので、あとわずかな登りができるのかと危ぶまれたが、随分早い下山であった。
この後を追う形で下山を開始した。

人を抜くのが好きで、抜かれるのが嫌いな僕は、だんだん本気モードに入ってしまった。
後ろの山寺さんのことはそっちのけで、リギさんと一緒に先行の2人を追った。



そのうち追い付くと「お先にどうぞ。山岳ランをされているのですか?」と聞かれた。
闘志むき出しとは知らずに。
 林道を横切った先の木陰のある道端で、もうゴールも近いことから、夫婦に道を譲り、後の2人を待つことにした。
名頃の変電所が眼下に見え、足元に気を付けながら下ると、登山口の駐車場に着いた。



今回の山行の実質的な終りである。
200名山をまた1つ登り終えた満足感で心は満たされていた。
  
車に乗り込み、往きに見かけた奥祖谷のかずら橋に立ち寄った。
ここは観光地として有名な旧西祖谷山村の祖谷のかずら橋ではなく、旧東祖谷山村の二重かずら橋である。
いずれにしてもかずら橋は初めてなので、見学は嬉しかった。



ここは、下流に男橋、上流に女橋が架けられている。

 

 

また、女橋の上流には人力ロープウェイとも呼ぶ野猿(やえん)がある。
この野猿は、わが奈良県の十津川村にも観光用として、上湯温泉近くの上湯川に架けられている。
子供連れと入れ違いにリギさんと相乗りで川を渡った。

 それから、日帰り温泉、木綿馬(ゆうま)温泉で入浴して、汗を流した。
来た道をそのまま通って、予定より早く平端駅に着き、2日間ハンドルを握ってくれたサンキューさんにお礼を述べて、
リギさんとは平端駅で、山寺さんとは西大寺駅で別れて、充実した2日間の山行を終えた。

文:ウオンテッド  写真:サンキュー、リギ、山寺