奈良山友会 山行の記録

烏ノ塒屋山〜龍門岳



2004年4月11日(日)

L.円の亡者
クー 山の家 toseko 信 リギ の んぶー momo porori モデル ナカノオオエ


 何年か前、まだ山に登り始めて間もない頃、大宇陀の地をクルマで南へ走っていて、
前方に鋭く盛り上がった形の良いピークを見つけ、あの山は何だろうと思 わず息を呑むような驚きを感じた。
帰ってから2万5千分の1の地形図で確かめると、「烏ノ塒屋山」とあり、塒屋には「とや」と振ってあった。
塒の字を辞書で引くと「ねぐら」の意味とあった。
からすのとややま・・・何と想像力を掻き立てる名前であろうか。

それ以来、何時か登ってみたいと、ずっと心に掛かっていたが、地形図にはルートの記載もなく、登りたい山のリストに挙げたまま今日に至っていた。

 ところが、今年の2月にリーダーの円さん達と伊奈佐山に登った際、音羽龍門山系を間近に眺め、
小さくても毅然とした存在感のある烏ノ塒屋山が話題になっ た。
その時もリーダーであった円さんが「今度あの山にノボロ」と言い出し、皆も「ノボロノボロ」と賛成して、今回の山行となった。
何しろ円さんは登った山から周辺の山を展望し、いちばん心に響く山に次回登るということを身上にしている人である。
私もそれが、人が山に登る本質であろうと思っている。

 円さんはルートがあろうがなかろうが、思った処から藪漕ぎで登って行くタイプであるが、
11人のリーダーともなれば、そうも行かないので取り付きの処 を、あらかじめ下見をされたようである。
その名も麗しき「恋の谷」から烏ノ塒屋山に直登し、吉野町と大宇陀町の町界尾根を縦走して、
龍門岳に至り、山口神社に下る、と言うのがリーダーの方針で あった。

 集合は榛原駅8時30分全員集合であったが、リーダーはあらかじめご自分のクルマを下山後のために山口神社へデポしたうえで集合された。
何時も変わらぬ 配慮の程に頭が下がる。
一行11人は山の家さんと、のんぶーさんのクルマに分乗し、恋の谷に向かった。

「恋の谷」とは人目を忍ぶと言う暗喩があるのか、狭くて深い谷で、クルマ1台がぎりぎりに通れる細い道が何処までも続いていた。

 道の終点には一軒家があって、近くにザックを背負って鉈や鍬を持ったご夫婦がおられた。
リーダーが挨拶して、二言三言ことばを交わしたところによると、この辺の土地はその方の所有で、
空き地にクルマを止めてもよいとのことで、これから山仕事 に出掛けられるところのようだった。
道の終点からは林業作業道らしき細い道がしばらく伸びていたが、やがて谷をそれて、右の方に離れて行った。

 我々は踏み跡もなき恋の谷を進んで行ったが、雑草やイバラが行く手を阻み、傾斜が強くなると、
ガレ場が現れるようになり、終には涸れ滝のようなきつい傾 斜のガレ場に突き当たった。
一行はこの難所を、まるで岩登りのような感覚で登って行ったが、「三点確保でお願いします」と注意を促すリーダーの声がしきりに響いていた。
ガレ場を登り切った処に、右の方から先ほどの作業道が来ており、どうやらこのガレ場を迂回するために右にそれていたようだ。
そうと知っていればあんな苦労をしなくてもよかったのだが、今となっては後の祭りだ。

 今度は我々の行く手に、真新しい鹿除けのフェンスが現れた。
一帯は大規模な伐採跡で、最近新しく杉苗木を植え付けたばかりのようで、
フェンスはこの苗木を保護するために谷全体を囲み、左右の尾根まで伸びていた。
作業道はこれらの作業のために付けられていたのだ。

我々は仕方なしに、フェンスに沿って右側の尾根まで攀じ登り、尾根上をまたフェンスに沿って登った。
あまりフェンスに近づくと支柱を引っ張る針金が邪魔になり、離れるとブッシュが邪魔をして、歩きにくいことこの上ない。

 悪戦苦闘で足元に気を取られていたが、リーダーが「いっぺん後ろを振り返って見てみ」と言うので、
振り向くと、そこには大パノラマが広がっていた。

なにしろ遮るものがない伐採跡である。
高見山の鋭い三角形を左端に白屋岳までの台高の峰々、四寸岩山から山上ヶ岳を経て弥山あたりまで認められる大峰の大山脈、
さらに右には奥高野の峰々と、し ばし忘我の一時であった。

 フェンスは山頂付近まで続いており、途切れたと思ったら直ぐ山頂だった。
山頂は少し広場になっており、周りを木々に囲まれ、三等三角点があり、何やら古い石碑と、[烏ノ塒屋山(659m)]と大書した、
赤地に白抜きの、よく目 立つ山名板が建っていた。
歩き始めたのが9時5分、山頂へ着いたのが10時5分、僅か1時間しか掛かっていない。
いかに直登、最短距離であったかが分かろうと言うものだ。


烏ノ塒屋山頂の石碑と山名板

 山頂で記念撮影をして、少し休憩したあと、10時20分出発、次なる目標、中龍門へ向かった。
町界尾根には、割合明瞭な踏み跡が付いていて、稜線を外さないようにすれば迷うことはない。
足元の雑草や低木も未だ本格的に繁茂する時期には至っていない。

 我々は、やや稜線漫歩のルンルン気分で、適当にアップダウンを楽しみながら快調に進んだ。
烏ノ塒屋山と龍門岳間は、踏み跡不明瞭と言うのが伝説にでもなっているのか、
ルートにはやや多すぎると思われるほどに、点々と紫色のリボンが付けられてい た。

 やがて我々は男女二人のパーティーに追いついたが、話をすると何処かの山の会の方で、
「近く会主催の山行を予定していて、もう三回も下見にきており、こ のリボンも、そのために付けている」と言っておられた。
おそらく、会の責任者の方で、新入会員の方々が多く参加されるような計画でも立てておられ、
何かとご心配なのかも、と勝手な想像をしながら、追い越させて 頂いた。

 11時25分中龍門の三角点に到着、我々はそこでも余り休憩もせず次なる目標、龍門岳を目指した。
踏み跡はやがて柳から来る登山道に合流し、ブッシュは無くなった。

 11時55分、ちょうど鞍部の平坦な処に来たのでリーダーは昼食タイムを宣言、我々は思い思いに腰を降ろし、思い思いに持参の弁当を食べ、
例によって楽 しい談笑タイムとなった。とりわけ女性陣の声が明るく弾み、陽気で幸福な時間がゆっくりと流れた。
チョコレートやゼリー、乾燥イチゴ等の食後のおやつが次々と回って来て、差し出すものが何も無い私は恐縮するばかりであった。

 12時30分再び出発。13時丁度には龍門岳山頂(904.3メートル)に到着した。

龍門岳山頂の祠

山頂には20数人の先着のパーティーがおられ、賑やかな雰囲気であった。
S市の山の会の方々で、我々のメンバーとお互いに顔見知りの方が何人かおられ、話が弾んで一層賑やかになった。
山頂には昔、断食修行の行者が籠っていたとか言う祠と一等三角点があり、
どうやって取り付けたのか木の枝の高い所に彫刻を施した立派な山名板が掛かってい た。
前に来た時にあった櫻の古木は、台風の被害に遭ったとかで、一本も見当たらなかった。

 先着のパーティーは、我々が来た方向に去り、我々は13時20分山口神社を目指して出発した。
14時10分龍門の滝に到着。滝壺のところに降りると、 「龍門の花や上戸の土産(つと)にせん」という芭蕉の句碑があった。
 
 14時20分龍門の滝を出発。ここからは遊歩道、林道、一般車道とだんだん道が広くなり、14時45分最終目標地点、山口神社に到着。
無事下山のお参り をした。

リーダー、のんぶー、山の家さんの3人は、デポしてあったクルマで直ちに出発、恋の谷に置いて来たクルマの回収に向かわれた。
待つことしばし、回収したクルマが到着、一行は榛原駅へと向かった。
無事榛原駅に到着、我々は充実した山行を互いに祝福し合ってそれぞれの帰路に付いた。

 登りたかった山に登る機会を与えて下さった円さん、クルマを提供して下さった山の家さん、のんぶーさん、
おやつを下さった皆さん、有難うございました。


文・写真:ナカノオオエ 写真:円の亡者